親の看取りを経験して、万が一の話を全くしていなくて困りました。
延命治療はどこまで望んでいるのかとか、葬儀はどうして欲しいとか‥。
そういう縁起でもない話は、元気いっぱいの時にしないとと思って、何度か話を切り出したのですが、全く話を聞いてもらえませんでした。
無理もないです。
そういう話はタブーの時代に生きた世代ですからね。
介護問題に携わった事ない人には、周りの人の大変さは理解できないし、自分の死にざまも想像できないと思います。
自分と夫の葬儀会社を申し込んだ時、エンディングノートをもらいました。
書かなきゃと思いながら先延ばし・・・・。
周りのお友達とも、そんな話題がチラホラ出てきました。
数年前に大病から生還したお友達から聞いた話。
彼女は退院してから、まずエンディングノートを書いたそうです。
自分がもしもの時どうして欲しいかはもちろんですが、まず最初に大きく書いたのが、「誰に来て欲しくないか、知らせて欲しくないか」だったと。
去年彼女は10日以上生死の境をさまよい、ご主人は「家族を呼んでお別れを」と言われたそうです。
(今は元気です)
あちこち連絡していたご主人がふとエンディングノートの事を思い出して見てみると、知らせて欲しい連絡先と共に、絶対知らせたくない人の名前が大きく書いてあったと。
ノートを読んで、妻と話し合っている気がして、うろたえていた気持ちがふっとっ消えて落ち着いたそうです。
エンディングノートに知らせて欲しくない人の欄なんてないので、聞いた時はびっくりしました。
でも考えてみたら長年生きてきたもの、そんな身内の一人や二人いてもおかしくないよね。
彼女元気になってからその話聞いてノート見たら、大きな字で「絶対知らせるな!」って書いてあって笑った~って言っていました。
いじめられた姑と同じお墓は嫌だとか言うのを聞いて、死んだらどうでもいいのにって若い頃は思っていましたが、人生も半分以上過ぎたら死に方や死んだ後はできる範囲で自分の意に沿ったものにして欲しいと思うようになりました。
たぶん残った家族の都合で思った通りにはならないでしょうけど、自分の意思は書いておこうと思います。
1ページ目には「知らせたくない人」書くよ。
人生の最後まで許せない人がいて、来世にも今生の課題を持ち越しそうなあすかでした~。